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年寄りは死ぬのが(最後の)仕事。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/13 19:08

 

とどのつまり、少子高齢化が真綿で首を締めるように国家の呼吸を止めようとしていると言う事か。しかも、若年層は経済活動に参加できず、高齢者は日を追うごとに国家予算を消費して行く。

 

退職した団塊世代が止めを刺そうとしている。

 

医療費について言えば、国は手を拱いて見ていただけではない。以前は成人病と呼ばれた疾患群の患者増と医療費の膨張を予測し、予防対策を講じては来た。それ以前にも減塩運動で高血圧と脳卒中(脳出血)を減らした実績がある。成人病と言うと、大人になれば罹るのが当たり前の雰囲気があったので、生活習慣病と言い換えた。健康に悪い生活をしている自堕落な人間が受ける報いとの寓意がある。

 

生活習慣病は高カロリーの食事による肥満、高血糖、高コレステロール血症が基盤となる。肥満になるとインスリンの作用が弱まり更に血糖が高くなる悪循環を生む。

 

高血糖と高コレステロール血症は動脈硬化を引き起こす。喫煙はそれを大幅に悪化させる。この、細い動脈から太い動脈まで、全身に生じる動脈硬化こそ、生活習慣病の本態と言える。

 

結果的に、脳動脈であれば脳梗塞、冠動脈であれば心筋梗塞、腎動脈であれば腎不全や腎性高血圧、四肢の動脈であれば動脈閉塞、眼底であれば眼底出血となる。糖尿病性腎症は血液透析に至る原因の第一位である。

 

更に、喫煙による慢性閉塞性肺疾患は在宅酸素療法の主な原因となっている。

 

これらの生活習慣病の特徴は、治らない事である。最新の治療により死ぬ事はないが、死ぬまで治療を続ける事が必要である。しかも、莫大な医療費が掛かる。

 

勿論、一人当たりの医療費は癌の方が高い。しかし、患者の数で言えば生活習慣病の方が圧倒的に多い。

 

ところが、お前の生活態度が悪いんだよと教えてやっても、こいつらは態度を改めようとはしない(しなかった)。糖尿病の患者数はバブルを境に激増した。脂肪の摂取量が激増したのと連動している。

 

つまり、バブル時代に飽食に明け暮れた団塊の世代糖尿病となり、今後30年でどれ位医療費を使うのか、想像もつかない(想像するのが怖い)のである。簡単に言えば、このままでは国家財政が破綻するのは間違いない。

 

ここでも、国は手を打った。人口の10%が医療費の50%を消費する高齢者医療である。その多くは社会的入院と無駄な延命治療に費やされている。老人介護保険で社会的入院を施設や在宅に回し、健康保険から介護保険に付け替えた。しかし、それでも医療費は膨張し続ける。次に、医療費のブラックホールである後期高齢者を別立ての保険にしようとしたが、年寄りの切捨てだといちゃもんを付けられて挫折した。なにしろ、保険料徴収の費用を圧縮しようと年金天引きにもしてやったのに、ボケた年寄りが年金を減らされると勘違いして騒いだため後退せざるを得なかった。朝三暮四の諺を地で行くような話である。

 

自民党の石原幹事長が胃ろうのPEGを「エイリアンみたいだ」とコメントし物議を醸したが、正確には「意識のない人間に施されたPEGは医学的にも意味が無く倫理的には人権の侵害であり経済的には全くの無駄」なのである。ALSの患者が慌てる必要はどこにも無い。

 

では、意識の無い寝たきりの年寄りを生かし続ける理由は何か?

 

その老人の年金にたかっている浅ましい家族の姿がある。何しろ、死んだのに生きている事にして年金を搾取する犯罪者が居る位だ。それに、生きる事と死ぬ事は不可分だと言う真実を隠蔽するような教育がある。それには、食事が必要から嗜好へ変容したバブル時代の影響がある。生きるために食べていたのが、美味しいから食べるようになり、美味しくなければ食べないとなり、最後には食べたくないから食べない、食べたい物しか食べないとなる。生きるために、植物でも動物でも他の生命を犠牲にして食べなければならないと言う生命の真実は意識されなくなった(他の命を減らして自分の命を繋ぐ、それは、親子の間にも当てはまる事なのだが)。多分、宮沢賢治の夜鷹の星を呼んでも、今の子供達は理解できないのではないか。

 

楢山節考の姥捨ては、現実には食料の代わりに生の芥子の実を持たせた。苦痛や恐怖を感じずに死ねるようにである。現代の姥捨てでは、苦痛を取り除く事はせず、逆に苦痛を長引かせる事をする。山奥でも病院でも、見えない所に捨てるのは同じである。姥捨ての捨てとは、家に置かないと言う意味である。現代の高齢者の(社会的)入院は、正しく姥捨て、年寄りの切り捨てである。

 

立派に生きた人間は、立派に死ぬ。少なくとも、その権利がある。立派にと言うのは、良心に従い真面目に生活し、仕事をして税金を納め、子供を生み育てる、平凡な、当たり前の生き方である。好い加減な生き方しかして来なければ、死には後悔と恐怖とがあるだけだ。孤独のうちに地獄へ落ちる恐怖を抱いて息絶える。そんな奴等の妄想に惑わされず、日本人としてのきれいな死に方を再確認すべきだ。身の始末である。

 

医療費の問題は、生き方の問題である。医療費と、品格や矜持とはどうやら反比例するらしい。人生の後悔を垂れ流し、人に尻を拭かせるようなみっともない真似は止めた方が良い。

 

それと、人口が減って一番問題なのは、自分の代わりになる命を生み出す事である。つまり、食料を生産する第一次産業の担い手の確保こそ、焦眉の急である。

カテゴリ: リビング  > 健康    フォルダ: 日本

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